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©立川 譲/株式会社マッドハウス/文化庁 アニメミライ2013/堀内 博之/Nekopuri
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無断で複写・複製・転載・配布など、一切お断りします。Hiroyuki Horiuchi 堀内博之
フリーアニメーター。青森県生まれ、学生時代に『アニメック』掲載の平村氏による『アニメ講座』の 通信講座を経て業界入りを果たす。30年以上の業界歴を持つ実力派アニメーター。代表作(制作参加作品)に「天地無用」、「名探偵コナン」、「ナルト」など。
★経歴について
☆実はこの前に一応、堀内さん制作参加作品をまとめてみたいですが、個人サイトでちゃんと書いてあって驚きました。ボクの知る限りでは、自分の仕事歴をこんなに細かく整理したアニメーターさんってあんまりいないじゃないかと思います。しかもかなり多かったです。いろいろ面白いものも入っており、本当にすごいです。
途中になっているので、もちろん作品でいくともっと多くなりますが、なかなか時間が作れなくなってしまって、結局更新をやめちゃいました。もうちょっと時間が作れるようになったらその後の作品も書いていきたいと思います。
☆小さい時からアニメ好きですか?
観るのは好きでしたね。
☆堀内さんは、恩田(尚之)さんと井上(俊之)さんとは同じ世代ですね。当時のアニメといえば「虫プロか東映か」のような気がしますが、あなたにとってどちらの方の影響が大きかったですか?
小さい頃に観ていたのはたぶん虫プロ系が多かったと思いますが、作品の数や時代の流れからすると東映作品に惹かれていったと思います。
☆はじめて「作画」を意識させたのは誰もしくはどの作品ですか?
実は先述したように観るのが好きだったので、作画を意識したのは、仕事を始めてからです。そういう意味では、初めて仕事をした「新鉄腕アトム」であり、手塚治虫さんでしょうか。学生の時に落書きをしたのは、「未来少年コナン」や、「ルパン三世」「銀河鉄道999」などのキャラクターを模写していました。
☆業界に入ったきっかけはベテランの平村(文男)さんという…それについて詳しくお話していただけませんか?
平村さんはある雑誌(「アニメック(現在廃刊)」)でアニメの教室と称したアニメの動きについての基礎を連載していて、そこに通信教育の募集があったんです。それを観て通信教育というちょっと珍しい形でアニメの業界に興味を持ちました。平村さんご自身は、元々は地方で新聞などに掲載される漫画を描いていた方で、TVアニメが放送され始めた頃に東映に入ったようです。自分がスタジオに入った時も現役でトップクラフトの合作や忍者ハットリくんの原画など担当してました。
☆アニメ業界を入ってから6年間ずっとぽっけにいましたね。その時にぽっけで一緒にお仕事する人には誰がいたんですか?
入った頃は6人程度で8人くらいでしばらく続きました。最後は12人くらいだったでしょうか。いまでも一緒に仕事をしていてわかっている人は清水義治氏(劇場名探偵コナンの作画監督など)やあと二人。今でも動画で活躍している渡辺さんと動画チェックをやられている先輩(後で出てますね…吉田氏)がおります。☆ぽっけ時代の話を伺いたいが、まずハットリくんから始めましょうか。初原画って平村さんがレイアウトを描いたんですが、その時にそのスタイルが多いですね。聞いた話によると確かに荒木プロもそうですし、まず荒木(伸吾)さんがラフとタイムシートを描いたという。
当時のレイアウトは、今のようにキャラの動きをすべて描いて提出するというものではなく、だいたいのプランを伝える為のレイアウトでした。今のようにシートも付けないし、キャラもあまり描かない。レイアウトがきちんと整理されていないと原画を描く時に合わなくなったりするし、今のようにきっちり直すということもしなかったので、ある程度描ける人でないとやらなかったようです。なので、原画に成りたての頃は、ちゃんと描ける人に描いてもらって、演出チェックが済んだレイアウトにキャラを後から載せて芝居をさせるといった形が多かったのだと思います。もちろんものすごく上手かったら、最初から描かせてもらえたかもしれませんが、それは才能のある人達のことで、自分たちは、そんなに上手くなかったので描かせては貰えませんでした。
☆「サイボットロボッチ」の話ですが、これは堀内さんの実質上の初原画作品となりましたが、それについてちょっと聞きたかったんです。
先輩が、原画をやりたいと言い出して、ほんの少しだけ仕事を取る訳にもいかないので、ついでに…という形で数カット簡単なカットをやらせてもらいました。動画はトレス線がきれいでないと駄目なのですが、原画はあまりきれいだと原画らしくないということで、原画を描いてから、わざと消しゴムで消して荒っぽくみせたり、色鉛筆で下書きを描いたようにみせたり、今思うと変な努力をしてました(笑)。
☆スラングル5話原画は、確かにあなたと吉田(肇)さんが担当したのですね。それははじめてメカアクションを描いたのですか?
原画と言う点においては、初めてのメカ物でした。動画では、いろいろやっていたので、あまり抵抗はなかったですが、メカのパーツが細かくて大変だったのを覚えています。それに流行の影付けがあって、それを真似しましたね。
☆「スプーンおばさん」の思い出についてちょっと聞いてもいいんですか?
これはなんとかレイアウトを自分で描かせてもらえた作品で、キャラがバタバタ動くので、面白かったのと同時に難しかったです。後日談で、この時の演出が、後に「AKIRA」で演出をやった佐藤博暉氏だったのは、ずいぶん後になってわかった事でした。その時の自分の原画をちゃんと覚えていてくれて、褒めても頂いたので、そういう意味でも良い思い出の作品になってます。
☆「ボトムズ」について、堀内さんが参加したのはほとんどAIC回のようですが、14話(第二クール クメン編第1話)はアール回のようで、糸島(雅彦)さんと沖浦(啓之)さんと一緒に動画をやりましたね。その回について何か印象に残ることはありませんか?
もう、ほんとにちょっとだけやった感じだったのと、ロボット物自体、苦手意識があってこの頃は、他に誰がやっていたとかも興味がなかったので、今思うと、凄い人達が集まっていたのだなと思います。動画の時は、自分で動画をやった原画の人にしか興味がなかったですね。情報も小さいスタジオだと入ってこなかったというのも要因ですね。
☆ちょっと気になりまして聞いてみますけど、よく落書きしていた「ウラシマン」のキャラは誰ですか?
ウラシマリュウ(主人公)とソフィア(女の子)ですね。
☆お好きな「カムイの剣」でも、恐ろしいメンツを揃っていましたね。そこで誰の動画をやったのでしょうか?
いろんな方の動画をやりました。森本氏、福島さん、梅津さん、松原さん、清山氏、うつのみや氏など、たくさんです。一番印象的なのは、松原さんだったと思いますが、お雪のキャラがスタジオに来ると殆ど自分がやらせて貰えたので、ちょっと嬉しかったですね。大変でしたが(笑)。
☆その時はもう原画描けるのですが、6年間ずっと動画マンをやり続けていて、確か給料が低かったけど、それでも続けられるのですか?
理由は、動画が好きだったということ。そしてスタジオの都合という事があります。原画はもちろんやりたかったのですが、動画は、いろんな人の絵やシートの書き方、タイミングの取り方、中割をどうやって描くかという楽しみ。学ぶべき事がたくさんありました。原画をやるようになれば、楽しいかもしれないけど、絵が描けないと苦しむだろうし、給料も減る。一年に一回くらいしか原画を描かせてもらえていないので、上手く描く自信もなかった。自分の給料が減るというのは、スタジオの運営費にも直結だったので(笑)極端に減らす訳にもいかない。それに後輩に教えるという立場でもあったので、なかなか動画をやめて原画になるというのには、決められなかったですね。
☆ぽっけ時代の堀内さんは原画・動画マンとしていろんな名作に参加しましたが、一番印象深いのはどの作品ですか?それと、あなたに一番影響を与えたのは誰の原画ですか?
一番…というには、決められないですが、やはり「風の谷のナウシカ」「カムイの剣」「ボビーに首ったけ」「火の鳥」あたりでしょうか。原画さんとしては、杉野昭夫さんです。あの線の雰囲気が今でも大好きです。
☆ぽっけ解散後にAICに入社して、どうしてすぐ退社したのですか?
ぽっけが解散になる前に平村さんがAICに対して条件を出してくれて、それが、自分を原画としてジブリに出向させてやってくれというものでした。なので自分にとってはAICの社員になる事が、原画をやれる条件みたいなものでした。そして関わったのが「火垂るの墓」です。テロップでは動画ですが、実は原画を6カット担当してます(少ないですが(笑))ですが、あまり上手くなくて、動画に回され、もうすぐ完成という時にAICから「動画で出向させた訳ではない」ということで、AICに戻ったのです。そして殆ど1ヶ月くらいでスタッフの一人と雑談から「『AKIRA』いいよね」と言ったことにより、制作を紹介してもらえることになり、本気でやるなら、AICの社員という肩書きを捨てないとやれない事になって、辞める事にしました。
☆フリーになった後の初仕事、まさかの「AKIRA」ですね。この仕事を受けたきっかけは何ですか?
先述のことですね。
☆堀内さんの担当原画が、結局修正入られて使われたのですか?
もちろん修正は入ってます(笑)。レイアウトは、ほとんど大友さんが描いた物があって、それを調整する形でした。もちろんそれも緻密に直されましたが、原画は自分が思っていた以上に使ってもらえました。
☆具体的に、どのあたりですか?
それは、ちょっと内緒で(笑)。フリーになって初めての原画だし、お恥ずかしい。自分が関わる前に二人の方が担当されたらしいのですが、やり直しになったところだったので、自分で最後にしたかったようです(笑)。もし、自分も駄目だったとしてもなんとか終わらせようとしていたようです。だから、最後までやらせてもらえたのかもしれません。自分の分が終わってから、少しですが、ほかの原画の方のお手伝いをしました。
☆「極黒の翼バルキサス」でのレムネア発動シーンって、レムネアが竜に変化したバロールにやられて甦ったところのことですか?
よみがえるちょっと前の戦いの辺りがメインで、このあたりは、もともと漆原氏と吉本氏両氏がPV用に先に作画していて自分はその辺の穴を埋めた感じでした。カット数も多くないです。
☆この時期の堀内さんのエフェクト作画はもうすごく良くなったような気がしますが…
この時は、周りにエフェクトの得意な人がたくさん居ました。それをいろいろ観て、真似していただけです(汗)。でもそれは凄く勉強になりました。
☆「シャコタン・ブギ」という作品は、あなたにとって特別な作品ですか?
もう、これは、初キャラクターデザインで初作監でと初めて尽くしですから、特別ですね。大変だったのもそうだし、がんばったというのもありますね。監督がこれまた先述した佐藤博暉氏であり、佐藤氏も初監督という事でも特別な作品です。
☆「THE 八犬伝新章」のオープンニング、本当にいい仕事をしていましたね。その構図と花びら、ちゃんと和風的な美を観客に伝えたと思いますよ。それについてちょっとお話していただけませんか?
花びらに関しては、やれるだけやらせてくださいということで、好きにやらせてもらいました。どうしても人に中割をお願いすると、動きを割ってくるので、花びらが舞う時の想像つかない動きが無くなってしまう事がいつも気になっていて、結局自分で全部描く事にしました。特にタイトルバックの花びらは、いまでもあれを超える花びらを観た事が無いと自負しております(冗談ですが…笑)構図を褒めていただけるのはとても嬉しいです。
☆花びらは1コマだけど、キャラは3コマですね。しかしわりとスムースに動いている、タイミングが良いと思います。
動きの流れは、奥田淳氏のおかげですね。自分でもいろいろ勉強させてもらってました。
☆作監のお仕事もめちゃ楽しくやってたようです。本当に和服が好きですね堀内さんって。
今でも和服のキャラですよと言われると、興味がありますね。ピッチリしたスタイルのわかるキャラも良いのですが、服の持つ柔らかさや、動きによって変わるフォルムなどは、描くのも大変ですが、とても面白いと思ってます。
☆橋本(晋治)さん作監回と湯浅(政明)さん作監回も観ましたか?どうですか?
同じアニメーターとしてあの才能が羨ましく、自分は出来ないことだと痛感しております。作品としては、こういうのも有りかなとも思うのですが、シリーズとしてみるとスポンサーはびっくりだった事でしょうね。あまり書けないいろんな事がありましたから(笑)今では笑い話になりますが。☆その後は、代表作の「天地無用」ですね。確かにTV版と劇場版in Loveのキャラデザ・総作監をやりましたね。
タイミングが良かったのでしょうね。あの頃は他の作品でみんな忙しかった状態だったので、他にやり手が居なかったのでしょう(笑)
☆キャラデザ・総作監やったのはこれははじめてですかね?
キャラデザはシャコタンブギが最初ですが、総作監は初めてですね…たぶん(笑)。
☆メカデザインまでこなしたとは…
OVAでは竹内敦志氏がすべてやっていたのですが、TV番組までは手が回らないという事で、誰か立てるという事だったのですが、いつまでも決まらなかったので、結局自分がやる事に…。ずいぶん下書きを描き直しました(笑)
☆リストで何度も「KEY THE METAL IDOL」に言及したようで、「KEY」に対して何か特殊な感情を持てたのでしょうか?
これも佐藤博暉監督作品で、監督からよく声をかけてもらっていましたが、自分の仕事が忙しくなかなか参加できなかったのが思い出です(笑)。何かというと面倒だったり、難しいカットを頼んで来るのですが、それだけ信頼してくれているのかなとうれしかったりもしつつ、結局いつも大変でした。
☆次は中国のみんなさんがよく知っている「名探偵コナン」についてお話しますが、まずは仕事を受けたきっかけからです。
TVの#2が初めです。これは放送自体#1と#2を続けて放送したのと、実質、コナンとして事件を解決する最初の話ということで、始めから関わる事になったのですが、きっかけは、・・・ん〜・・・電話で頼まれた・・・からでしょうか(笑)。前知識もなく、普通に新番組として始まるTV作品として請けたと思います。
☆その間にアクションシーン担当が多かったようです。前の「なつきクライシス」では一部のアクションを描いたが、「コナン」の2話・28話でもアクションですね。
特にアクションが得意という訳ではなかったのですが、面倒なところをよく頼まれるので、偶然それがアクションだったのではないかと思います。自分でこのカットをやりたいとか選んで仕事はしないので…。
☆確かにコナンのOP8とED2が堀内さん一人原画ですが、前「八犬伝新章」のOPを担当した時の気分とは何か変わるところがありませんか?
一人でやって終った時の充実感とか達成感は、何をやってもあります。もちろん完璧ではないので、反省もしますが。コナンだから特別というのは、なかったですね。☆「14番目の標的」ラスト付近の堀内さん担当カット、エフェクトが緻密でうまいです。
海にタワーが落ちていくところですね。エフェクトは、そんなに得意な方ではないのですが、崩れるものとかは、なぜかいろいろやっているので、経験が活かされたのでしょうか。
☆この後もずっと、コナンのお仕事に絡んでいましたね。
特に選んでいる訳ではないのですが、頼まれれば、その時の状況で引き受けます。作品自体も好きということもありますが、恒例になってしまっているのもやり易い原因でしょうね。
☆今更気づいたけど、その時の堀内さんはゲームの仕事も受けてありました。しかしキャラデザ・イラストレーターの方向ではなく、結局アニメーターの仕事ですか?センチメンタル・グラフティでは作監やってたけど、キャラデザは別の人ですか?
訊かれたので、答えちゃいますが、キャラデザインは、自分のペンネームです。いろいろ事情があって、作らせてもらいました(笑)
☆そこから「アニメーター辞めたい」ですか?
実は3Dをやりたかったのです。その気持ちは今でもあります。実際、3Dと関わりを持つ仕事には興味があって、今在籍しているサンライズも元々は3Dのチームでした。いろんな人にそういう話をして作画の仕事を減らそうとしていたのですが、ゲーム会社に入って、ようやく3Dの世界に…と思ったのに頼まれるのは、作画…これは未だに変わらないですね(笑)。
☆「太陽の船ソルビアンカ」は、恩田(尚之)さんが仕事を頼んだのですか?
同じAICに居たというのもそうですが、やりたかったというのもあって、普通に会社の制作に頼まれて引き受けました。
☆恩田さんキャラって、どうでしょう(笑)。
恩田さんのキャラは、奥行き感があってその立体感を表現するのが難しいです。これは、画力のある人じゃないとなかなか描ききれないものだと思います。だから尚更、興味をもって観てしまうのです。未だに上手く描けませんw。
☆2000年に入って、はじめてのお仕事は以前やったことがない仕事ですね。「サクラ大戦3」の美術設定って、具体的に何をやってたのでしょうか?
本当に作画さんの為の美術設定を描いてました(笑)。アニメーターでも美術設定を描く人は居ます。偶然、人手が足りなくてやってみませんかと機会を頂いたので、やってみました。数は多くないですが、城の中の部屋の設定を描いてます。
☆その後の「サクラ大戦 活動写真」という劇場版も参加しましたね。
特に前作との関わりはないと思うのですが、頼まれましたね。ココでは普通に原画だったと思いますが、ちょっとしたモブシーンだったと思います。
☆よく見ると、なんか堀内さんはよく不本意でヒット作の仕事を受けましたようです。押井(守)さんの作品とか、今故人になった今敏さんの作品とか。大友(克洋)さんの作品にもよく名前出ましたね。
やったことのないカットがやりたいので、やってみて思った以上に大変だったという事が多いのです。嫌いでは無いのですが、なぜか面倒なカットが来るようになりました。
☆やっぱりそういうリアル系作品があんまり好きではないのですか?
嫌いという訳ではないです。絵柄的には昔、ギャグ物が合うねと言われた事があって、それからすこし反発して、リアル物に参加するようになったというのも理由ですw。ただ、やりたい動きなどは、緻密で地味なものがやりたいので、そういうものが、ギャグ物には少ないということもありますね。必然的にリアル系に走っているとも言えます。☆最初のナルトに関わった仕事は、何ですか?
劇場の1作目でしょうか。原画で参加しました。
☆だいぶは作監の仕事ですか?
劇場の2作目も原画で、3作目は参加して無いです。そのあと4作目からずっと作監で参加しています。
☆普段はよくナルトを描いてましたね。最初にウェイボーで呟いた時も、なぜかある愛好者に岸本先生だと勘違いされました(笑)。
あれは、ちょっとビックリしました(笑)。ナルトのファンは多いと聞いていたのですが、まさか勘違いされるとは思ってもいなかったので、説明するにも中国語はわからないし、なんとか日本語もわかるフォロワーさん達に助けていただいて、理解して頂いたようです。
☆平成18年から19年この二年間、キャラデザの仕事が多かったようですが…
ちょうどそんな仕事が、机を借りているスタジオ(銀画屋)に来たので、受けていた。そんな感じでした。特に選んで決めていた訳ではないです。
☆「DARKER THAN BLACK」って、はじめてのボンズ仕事ですか?それは「ザムド」と「鋼の錬金術師FA」を参加したきっかけですか?
ボンズの仕事でしたが、頼まれたは、グロスで受けていたPA-Worksからの依頼だったと思います。その後の参加には直接関係していたのかは、わかりませんね。
☆レントンは一作しか参加してなかった...かな?結構好きのようです。
PA-Worksからの依頼で始まったのですが、ゲームの3本目からずっと参加しています。 劇場にもなったときにも作監で参加しました。結構やっていますよ(笑)
☆「CANAAN」OPのアクションパート、すごく迫力あると思います。そこら辺が堀内さんと佐藤(雅弘)さんが担当しましたか?
自分は、後半のヘリから降りるところから主人公が撃ち返している所まで、ほんの少しです。あっという間なのですよ。佐藤さんはどこを担当したのかは知りません。
☆「いばらの王」は片山(一良)監督作品ですが、前回彼の作品を参加したのはもう「帝都物語」の時ですかね?
帝都の時は、演出さんと打ち合わせしたので、片山さんご本人と一緒に仕事をしたという印象はあまり無いです。この「いばらの王」でやっと仕事が出来たという印象です。
☆「いばらの王」はCGアニメですが、担当したのは動きラフの修正、そしてタイミング付けですか?
基本的にセル部分、主にキャラですね。自分の担当部分には3Dが少ししか登場していないので3Dには、関わっていないです。
☆「いばらの王」のセルシェードの表現力について、あなたはどう思いますか?
悪くないと思います。これからもっと多用して行って良いと思っています。ただ、この作業をTV作品とかで毎週仕上げていくのは、もっとスキルが高くないと大変でしょうね。3Dもオペレーターというよりアニメーターとしてもっと成長していかないと厳しいですね。
☆「機動戦士ガンダムUC」では、キャラ修正がメインですか?
そうです。キャラ修正がメインです。ただ、2話で、2カットだけメカの第二原画をやったのですが、それはもう、大変でした(笑)これは、好きな人がやるべきものだと確信しました(笑)。
☆平成22年に27年ぶりにボトムズ関連作品を手掛しましたが、エフェクト作画監督として参加したのは何かご感想がありますか?アールエフェクトを再現しようとする考えはなかったのですか?
エフェクトの大まかなラインは、監督の重田敦司氏がラフをたくさん描いてくれました。その感じを残しつつ、修正していったのがいちばん多い仕事でしたから、そこから大きく外すことは、あまり考えていませんでした。
☆「宇宙戦艦ヤマト2199」では多くのベテランが集結したが、「ヤマトは思い出の作品」という理由でやる人が多かったという。あなたもそうですか?
実は、あまり参加するつもりはなかったのですが、グロスで受けていたAICに手を貸すという形で、実現したという形です。ヤマトで育ってきた想いが強いので、自分の中では、参加したい気持ちと、今風にしたくない気持ちと葛藤していましたね。
☆キャラデザが結城(信輝)さんがやってるので、女の子が色っぽくなってるような気が…
そうですね(笑)。あのやわらかいボディラインが、そう見えるのでしょうか。線にも色気がありますから、成るべくして成ったものだと思います。
☆ストパン劇場版でメカ娘を描いてましたか?
描きましたw。本当は、やらないはずだったのですが、スタッフが足りなかったのか、やることになりました。ただ、その部分は第一原画になってしまいました。担当がほとんどが冒頭の戦争のシーンでしたから、メカ娘は、結局原画としては描いてないです(笑)。
☆現在のお仕事は何になるんですか?
現在は、TVシリーズの仕事になります。「弱虫ペダル」という、高校の自転車競技部の漫画原作の話で自転車が好きなので、楽しんで、苦しんでます(笑)常に2~3タイトルは持って作業しています。
☆今後描きたい・やりたい仕事はまだありますか?
自分から、これがやりたいというものは、実はないのです。ただ、頼まれたらやるといった感じで、やりがいがあるところであれば、楽しんでやります。自分はクリエーターではなく、一種の職人だと思っているので、そんな頼まれた仕事をするアニメーターには向いているのかもしれません。
☆演出の仕事に、興味はないですか?
作監をやるとどうしても演出的な部分にも関わってしまうのですが、丸々一本の作品で演出としてやるというのは、あまり考えていません。先述したように、絵描きとしての職人気質なので、演出には向いていないと思っています。
★アニメミライ「デス・ビリヤード」について
☆「デスビリヤード」の仕事を受けたのは、立川監督に直接誘われたのですか?
そうです。TwitterのDM(ダイレクトメール)が送られてきましたねw。ウェイボーの私信のようなものですね(笑)。
☆最初はどのような気持ちで仕事を受けたのですか?
あまり深く考えていませんでした。いろんな条件(出勤時間が11時から20時までとか、基本的にスタジオに毎日入ることとか)があって、それを了承しなければ参加できなかったので、それが問題でした。ただ、それくらいの条件が出来なくてこの先、仕事を続けていくのかと、自問自答して、参加する方向で覚悟を決めた感じです。それもわりとあっさり決めました。自分がマイナスと思っていることをプラスにするのも自分ですから。
☆若手原画チームにはほとんど初原画の人ですね。
そうです。動画から原画試験という過程を経て、原画になりたての子たちが参加してます。一人、海外から日本に来ていた方(鈴木亜矢さん:英国在住)もいますが、彼女は、動画もやったことがないと、後で聞いて驚きました。
☆制作に入ってから、中堅原画の分業状況について、特に堀内さんの担当パートについてちょっと詳しくお話していただけませんか?
基本的に新人さんたちが、担当部分を決めて、残ったところを担当するということでしたが、最終的に決めたのは、栗田作画監督と立川監督です。自分が担当したのは、冒頭からバーカウンターで男とおじいさんが会話しているところとラストのエレベータールームの挨拶するところ。途中のおじいさんの回想シーンを少しだけ。あと、ビリヤードを始めるあたりを少し。合計すると60カット無いくらいだったでしょうか。☆具体的にどのような流れですか?たとえばレイアウトの段階で若手が自ら原画のレイアウトを描いて、中堅原画が意見を出すという形で進んだのですか?
自分達は、一緒に作業をするということと、尋ねられたら答えるという感じでした。特にこちらから意見を言ったりすることはなく、「上手く描けているのか、気になるんですが・・・」と訊かれたらそれに対して答えていました。基本的には新人さん達は、演出、作画監督に訊いて助言を貰います。そのときの状況で、自分達も加わったりすることもありましたが、ほとんどが、自分達で答えを見つけ出していましたから、そういう意味では、あまり出番は少なかったと思います。あとは、自分達が経験したこと、作画だけじゃなく業界のいろんな話や、作品の感想とか仕事じゃない部分で話をしましたね。自分達もそうだったように、先輩達が話している世間話が役にたったりすることもあります。コミュニケーションをとること自体も、これから必要になる訳ですから、そういった意味でも自分達が居るということ自体にも意味があったのだと思います。
☆栗田(新一)さんってすごい武闘派アニメーターですね。今回は修正だけで、原画として参加していなかったんですか?
原画としてはやってないです。キャラクターデザインと作監としての仕事に専念していました。もちろん説明するということで、大まかなラフを描いたりすることもあったようなので、動きのヒントとして、栗田氏の要素は、入っていると思います。ただ、出来るだけ原画の動きはそのままにキャラを似せるための修正ということで尽力していたと思います。
☆男が老人に攻勢を挑んだところから老人に逆討ちを食らったところまでは、鈴木亜矢さんのお仕事だと聞いています。自分はそこがすごく上手いと思いますが…
凄く良かったですね。本人はアクションは初めてとおっしゃっていましたが、動きに対して人一倍こだわっていたと思います。基本が出来ていると何でも描けるんだなと感じました。
☆男泣くシーンの芝居も、すごくうまかったと思っています。
そこは、高橋氏です。アフレコにも全員して見学に行ったのですが(描いた高橋さんは仕事の関係上不参加でしたが)、芝居と声がマッチしていて思わず、息を呑む光景でした。声優の中村悠一氏もさることながら、あのタイミングは絶妙としか言いようがありません。自分もあのシーンが一番好きですw。誰も居ない所で観ていたら、きっと泣いていたと思います(笑)☆アニメファンたちが中国のアニメーター梁(博雅)さんのことに関心を持っているので、彼女の仕事について少しお話していただけませんか?
初めは、あまり話さない人なのかなと思っていたのですが、どうやら逆でw、とてもいろんな事を、学ぼうとしていたようです。時々自分が描いたものに関して自信がなかったのか、幾度か助言をしました。でもほとんど大丈夫だったので、素質はあるのだと感じます。それに自分の意見をしっかり持っていて、日本のアニメを学びたくて来ているというのは、自分が逆の立場だったら、どうしていたかと考えると頭が下がります。あとは、新人さん達みんなに言えることですが、いろんな仕事を自分の好みで選ばず、アクションをやったら次は、地味な芝居とか・・・挑戦するつもりでやっていければ、きっと成長も早いと思います。
☆若手原画たちの仕事に点数をつけてみたら、何点となりますか?
何点でしょう・・・w。普通に仕事としてみても出来た映像が語っているようにほとんど100点でもいいのではないでしょうか。厳しくみれば、予定の期日までにみんな終わらなかったので、その辺では90点くらいでしょうか。その中で一番遅れたのは、実は自分だったりしているので、自分が中堅として60点です。(笑)(ですからえらそうなことは言えません(笑))
★メッセージ
☆最後は中国のアニメーターたち、アニメファンたちにメッセージをお願い致します。
最近の中国の現状を知らないので、今、こういう作品が作られているのかどうか知りません。それは、自分がアニメーターになってから、凄いと思って観たアニメに中国で制作された「牧笛」や「鹿鈴」などがあります。自分も墨を使うのが好きです。いつかこんな作品が出来たらと思っています。自分は、中国だから出来る作品が観たいし、また日本だから出来るアニメを作っていきたいと思っています。若い人たちは、まだまだいろんな可能性を秘めているはずです。いろんな事に挑戦して行って欲しいし、自分もまだまだ挑戦していきたいと思います。最後に、偶然にもデス・ビリヤードという作品で出会った梁さんからウェイボーを知り、こうしてたくさんに方々に出会えたことは、うれしいことです。中国語は難しくて話せませんが、描いた絵を通して交流が続くことを願っています。そして、今回このような機会を得られたことを感謝します。多魔様にも感謝です。ありがとう。そして読んでくれた皆さんにも感謝です。ありがとう。