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映像のトリック&ロジック 増原光幸監督インタビュー
2015-05-11 00:18:44    作者:COMIDAY

企画/多魔  聞き手/土谷三奈  写真/bzd  編集/幕夏 

当ページに掲載される全ての情報は(テキスト、画像など全ての著作物)以下の権利者が著作権を保有しています。
(c) 増原光幸・株式会社マッドハウス
無断で複写・複製・転載・配布など、一切お断りします。


増原光幸
1973年愛知県生まれ。アニメ業界入りし、『陽だまりの樹』にて演出デビュー。『ガングレイヴ』、『太陽の黙示録』などの演出・助監督を経て、『チーズスイート・ホーム』にて初監督を務める。

代表作品
『チーズスイートホーム』
『こばと。』
『ブレイド』
『しろくまカフェ』
『ダイアのA』





序言 変幻自在の演出家

増原光幸っていう人って、重たい話が一番好きじゃないですか?
多分違いますが、作るのがうまいです。
増原光幸っていう人って、猫ちゃんが一番好きじゃないですか?
多分違いますが、演出するのがうまいです。
血なまぐさい「シグルイ」で優れた演出を見せた後すぐ、
暖かい「チーズスイートホーム」で監督を務めました。
その後「こばと。」「ブレイド」「ダイアのA」などで、短期間で方向性まったく違う作品を手掛けて、
まさに変幻自在です。
今から、ご本人から「増原演出」のトリックとロジックを語る。



土谷三奈(以下、土谷):増原さんが演出デビューしたのは「はじめの一歩」になるんでしょうか?

増原光幸(以下、増原):はい。えー違います(笑)。演出デビューは「陽だまりの樹」という杉井ギサブロー監督の、手塚治虫さん原作の時代劇アニメです。確か7話、増井さんコンテ回かな。本格的に演出デビューって意味ではコンテとセットなのは「はじめの一歩」です。

土谷:その時の印象とか思い出に残ってること、大変だったことを教えて頂けますか?

増原:「陽だまりの樹」は時代劇なので、服、つまり着物とかが大変ですね。あとは剣の扱いとか。そういうものは全部ちゃんとやらなきゃいけないんで、そこ一通り取材して、リアリティを持たせるっていうことをやってますね。リアリティを持たせるという部分は、例えばボクシングなら、こう(増原監督構えながら)構えて打つと基本はジャブになるわけです。これがジャブ。で、ジャブ、そしてストレート。腰から入れないと、体重を乗せたパンチにならない。その辺をアニメの動きの中でちゃんと説明しないと、手打ちパンチになっちゃうので。ちゃんとこういう風にやって(増原監督、全力で打つ動作)…

土谷:腰から全身を動かして…

増原:そうそう。つまり、ディレクションする立場の人がそこら辺の動き方を知っていないと、アニメーターに要求できないんです。なので、自分が完璧に実演できなくても、「こうしたい」っていうことを伝えなきゃいけないので、少なくとも知識として持ってなきゃいけないですね。「陽だまりの樹」の話をすると、刀の抜き方があります。日本刀って実は大刀です。でかいやつはこういう風になってて(増原監督、大刀を抜く実演)、小刀はこういう風に差してて、この二本の刀がクロスして差ささっているから腰のところでキチッと留まっているんです。ブラブラしないっていう。そういうリアリティがあったり。他にも、大刀はいろんな豆知識が必要でした。大刀を抜く時はこうやって(真っ直ぐに)抜こうと思うと、刀の長さがつかえちゃって、腕の長さが足りなくなるんです(増原監督、鞘から刀を出す仕草を実演)。抜けないんですよ、実は。それでどういう風にするかっていうと、斜め後ろに鞘を引いて下げてあげて、距離を稼いで抜くんです。刀を抜くというひとつの芝居ですが、こうやって鞘を引いてない動作は実はうそで、抜けないポーズを描いちゃってるんですね。これでは、実写でやっている芝居にはならない。ちゃんとこうやって、動きにしっかり肉付けをして、初めてリアリティが増す、存在感が増すっていうところがあったんですよね。ちなにみこの大刀が、縦にこうなってるのはもうひとつ重要な意味があって、江戸時代に武士が他の人にぶつからないように、という理由があったんです。武士が確か右側通行だか左側通行だかで、当時の通行方向にも確か色々あったような気がする。

土谷:鞘当てしないように…

増原:そうです。確かに右側通行をしていると、左に帯刀した鞘と鞘がカチンとぶつかっちゃう。左側通行にすると、帯刀している側は人とすれ違わないから、鞘ぶつかなくて済む、みたいな。いろいろありますが、そういうことちゃんとアニメで再現していなきゃいけないですよね。

土谷:増原さんご自身はアニメーターではなく、制作進行から演出になっています。アニメーターさんに伝える時に、作画以外の方法で伝えなきゃいけないこともあったかと思いますが、苦心したことや気をつけていることはありますか?

増原:実際にやっぱり身振り手振りで伝えるのは大変なんですよね。打ち合わせの時にもちゃんとこういう風に(身振り手振りは)やってました。千堂という「はじめの一歩」のキャラがいるんですけど、あいつのスマッシュ、左利きだったかな確か…こうやっていく(左腕を振り上げながら)やつなんです。この動作をリアルにやるとそれはそれで作画的に、意図をうまく演出できなかったり。さっきの話とまた相反するんですけど、アニメ的なはったりっていうのも必要なことがあって。実際よりももっとかき上げたアニメでないと迫力が出ないです。それをどのぐらいのさじ加減にするかっていうのも、腰から上への身体の移動なんで、言葉で説明してもわからないので、どのぐらいのはったり感が欲しいかっていうのを伝えるときは、「地面から天空に向かって突き上げるようなスマッシュです」っていうようなことを言いながら、実際にこうやってね、実演していました。ちなみに、いつだったかファミレスで、このぐらいの~って説明した時に照明器具にガシャーンってこぶしが当たっちゃったことがあって。「危ない危ないごめんなさいよ」みたいなのがありましたけどね(笑)。

土谷:「はじめの一歩」は演出が「あしたのジョー」みたいな劇画タッチっていうわけではなく、リアルな作品なんですけど、アニメなので、先ほどおっしゃったように、わざと大振りにしたりしています。一番気になるのは、やはりボクシングはずっと動いているスポーツなんですが、あまり枚数を使わずに動かしてるようにみせる技法や演出は、どういうことを意識していましたか?

増原:その辺はやはり流背、いわゆるB.G.がぶわ~って流れるようなところとか、Q.T.B、Q.PANなどを使うということでしょうか。これらは古くからの技法ですけど。びゃんっていうスローモーションみたいな演出とか。原作もそうなんですけど、リアルタイムじゃなくモノローグのセリフが多いですよね。例えば、次の一打を打つまでに一歩が考えていることは、リアルタイムでセリフで喋ってたら、一打を打つまでにセリフが終わってしまう。でも、アクションをやってる間に喋ってなきゃいけないんで、そういうところを、背景が流れる演出をしてスピードと考えてることのタイミングを合わせて、一瞬で考えたように見せよう、とか。セリフにしてしまうと、それが時間軸と沿わなくなっちゃうんです。他には、セリフにせず、顔の表情にモノローグをつけて表現するんです。あとは、引きの全身ショットではなく、ふたりの足元にカメラをつけて描くとか。これは、全身を引きで描くと、物理的な制約が絶対入ってきて、ボクシングの動きを全部連動させていくと、非常に精密な計算をしないといけなくなる。でも、例えば、足元のショットで切ってあげると、その辺の制約から外れてることができる、というか誤魔化せるんです。足元だけを描いたり、逆にバストアップで上半身の動きに集中できますね。他には、カメラショットは引いて撮った場合、客観的になることがあって、心情描写を描くドラマを作る場合はやはりカメラ寄ってあげた方がそのキャラの内側の心理に入りやすいです。足さばきとかは、一気にギャンとやると、アップでその足元を捕らえてないと、やはりこじんまりとして見えちゃうんですね。映像はやっぱり印象が大事なので、迫力を出すためには、アップにします。描くのも楽だし、観てるお客様には迫力のある絵に感じてもらうことができる、二つの利点がありますよね。

土谷:「はじめの一歩」では、増原さんがやってらっしゃった回って、65話の合宿の回、はじめて猫田が登場するシーンですけど、日常回っていうのは…

増原:日常回好きです!(笑)

土谷:(笑)増原さんへ日常回やって欲しいってオファーがあったんでしょうか?

増原:たまたまあった、っていうか偶然の一致ですけど、日常回をやりたいのは確かにあって。主には偶然ハマったことが多いかな。たまたまですね。

土谷:リアルな試合が終わったあとに、ちょっとコミカルなタッチで合宿でみんなが描かれている、なんかすごく増原さんらしい回という印象があります。

増原:はい、ありがとうございます。

土谷:そのあと「ガングレイヴ」で助監督をされています。「ガングレイヴ」はまた日常回とはかけ離れたかなりリアルで重たい作品です。その「ガングレイヴ」の助監督ですが、実際はどういうことをされてたんでしょうか?

増原:助監督か…いろんなこと(笑)。助監督って聞こえは「監督」でいいんですけど、要はなんでもやるんです。レイアウトも直しますし、リテイクカットになったやつ、何か絵がおかしかったりとか色がおかしかったりとか、それを専門でやっていらっしゃるスタッフの方もいらっしゃるんですが、時間がなかったりしてそこまで手が回らない場合に、それを手伝うということもいっぱいありますし。あとは…設定制作はあの時は他にひとり立ってたな。

土谷:アクション関係はどうだったのでしょうか?

増原:「ガングレイヴ」は、作監さんがアクションシーンの絵のフォローをしているっていうのは確かありました。アクションは全部僕が見るわけではなかったですよね。

土谷:テロップによると、2話で増原さんが絵コンテをやってらっしゃいます。監督と連盟で名前が載っていますが、そこはAパート→都留監督 Bパート→増原監督という形なんでしょうか?

増原:はい、そうです。よくお分かりで。Aパートの都留さんのカメラアングルってすごく素晴らしい劇場的なちゃんとしたアングルなんです。これは都留さんに言われましたけど、「増原くんのコンテはテレビだよね」って(笑)。ローカロリーだよ(笑)。すいません、ただ現場で弾けちゃうので、テレビシリーズのコンテにさせてもらうっていうかね。都留さんの絵コンテは全てをちゃんと見せてあげて、パースも広角的なアングルが多かったりするんです。そもそも都留さん自身がスーパーアニメーターで、めちゃくちゃ作画の技量があるんですよ。都留さんなら描けるけど、スタッフがついてこられないってこともあって。そういう意味でも、僕の方がコンテで多少ローカロリーな部分があるんですけれども…。そうは言っても都留さんの意図というかやりたいことに、男くさいというかハードボイルドの世界、っていうのがあって、その雰囲気は消さないようにと思ってやらせていただいたということで。

土谷:最後のジョリスが銃殺されちゃうシーンはカットバックを使っていますが、それはインパクトを強くするために用いた手法ですか?

増原:インパクトというより、もともとシナリオを黒田洋介さんにお願いしていたんですが、シナリオがすでにそのような設定になっていて、その結果として狙ったのは「日常の破壊」ですよね。1話が現在ですから、さかのぼって2話から「じゃここに至るまで何かあったんだ」っていうお話になるわけですけど、彼らの日常の2話はスラムのような下町で仲間同士でなんとなく楽しくやっている。でも、黒人の坊やがスリかなんかでかっぱらってきたものきたをきっかけにして、日常が壊れていくんですよね。ちょっとした喧嘩というか闘争というかピンチがあって、それを乗り切って、ぼこぼこになりながらも雨の中肩を組んで帰っていく。そしてまた日常に戻るかなと思いきや、その日常が突然破壊されるという、そこの劇的なドラマを演出するための構成ですね。なので銃殺もインパクトを強くするためのもの、まさにその通りですね。


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土谷:増原さんのお仕事の中では、日常系のお仕事と、バイオレンス風味なお仕事があります。「シグルイ」も結構血なまぐさいハードなところがある作品でした。増原さんは6話を担当されていました。先程「陽だまりの樹」で剣劇の部分を勉強されていたお話がありましたが、「シグルイ」の時はどういうことを意識してお仕事をされていたのかまずお伺いしてもいいでしょうか?

増原:「シグルイ」の時は剣劇を意識したというのはもちろんあるんですが、作品の方向性を決めるのはまず監督っていうのがあるので、浜崎さんのカラーをとにかく作品全体に浸透させなければいけないというところは意識していましたね。

土谷:増原さんは助監督…

増原:そうです。

土谷:浜崎さんってかなりインパクトのある演出で、確固たるスタイルが出来上がっている方という印象がありますが。

増原:浜崎さんが何をやっても浜崎節になるので(笑)。

土谷:(笑)一緒に組む時に増原さんご自身に気構えはありましたか?

増原:浜崎さんはね、当時僕に声をかけてもらった経緯としては、他の副監督や助監督候補の方も何人かいらっしゃったみたいなんですが、その人たちのスタイルは見えていると、で、僕のスタイルがよくわからない、が故に何か出てくる、そういうケミストリーを期待されて、僕が抜擢されたっていう。っていうところでは6話に繋がるんですけど、浜崎さんの世界観を踏襲しつつもやってないことをやるというか、やってしまえっていうつもりでやったというか。あの話数を演出するのに、あれしか思い付かなかったっていうか、あれに至っちゃったっていうか。 

土谷:炎の部分ですね。

増原:はい、炎のシーンです。伊良子はお仕置きの場から逃げ出して、コロコロ転がって、虎眼流の秘奥義を伝授されるかと思いきや、単なる処刑の罠に嵌められてしまうんですね。

土谷:あのシーンで木の上から雪が落ちますね。

増原:6話の最初のところですね。伊良子が呼ばれて最初ボコボコにやられて、先生が待てと言ってないから試合は続いていると藤木が笑って言い、立ち合いを始めましょうって流れになる。木から雪が落ちるのは、原作でも見せてたと思うんですけど、狙いとしては「木の雪が落ちました」という瞬間を表現して、一瞬の間なんだけどもこういうことがあったよ、っていう記号にしました。「雪が落ちますよ、伊良子と藤木が戦いますよ、手合わせしますよ」っていう。原作でもそうなんですけど、結んでるところを行ったり来たりっていう描写がそこからずっと続いていて、それを一瞬の出来事に見せるには記号として何かを置いとかなきゃいけなかったんです。万人とっての共通事項する時間軸って何だろうっていったら物理法則の自由落下なんです。物理法則はみんな共通体験として持ってるものだから、木の上から雪が落ちました、これが落ちる間の間に起こったことですよっていう演出方法になる。例えば剣劇の間合ですり足一歩の間とか言われても、どの位かがわかんない。そこで木の上から「ビョン」って雪を落としている。仕込みとしては伏線がありまして、あのシーンは実は蝉の抜け殻をさり気なく見せているんです。真冬の絵の中に蝉の抜け殻ってちょっと違和感がある絵面ですけど、それを伏線でBパート最後のお仕置きでまた使っているんですけどね。

土谷:一瞬を象徴するシーンだったんですね。

増原:すごい。一行で済みましたね。(爆笑)

土谷:(爆笑)

増原:僕が一生懸命3分ぐらいかけて話していたことが一行で済むことになっちゃって、すばらしいまとめです。でもそんな短くまとめちゃったらつまんないですからね。

土谷:そうですね。申し訳ありません(笑)。

増原:頑張って喋りますよ。





土谷:伊良子と藤木が戦ってるカットですが、、剣を合わせる時にモノクロになり、剣だけがパカパカと光っていました。あそこはモノクロにしたり、ある部分だけ光らせるみたいなのはどういう発想で至ったんでしょうか?

増原:発想というか、その演出がまず出発点としてあった訳ではなくて、結果そこに辿り着いたやつですね。アクションって一瞬の出来事じゃないですか。一瞬の出来事をリアルにやったら一瞬で終わってしまって、緊張感がない、コスンって男が攻撃を避けたっていう描写は例えば彼らの本当の剣の早さでやっていたら、雪が落ちるまでの秒数で終わっちゃうから、フィルム上で流したら一秒半ぐらい。「しゅ~~~う」で終わっちゃうわけです。そうするとドラマとしてちょっと盛り上がらない。それで、じゃあまずスローモーションなどの止めの表現でいこうとなります。浜崎監督からちょっと助言を受けていたんですけど、スローモーションで止めの表現になった時に、それだけでは単なる止めになっちゃう恐れがある。じゃあどうしよう。あの中での主役は木刀を振るっているふたりですが、一番スピードがあるのは木刀です。スピード感の主役だったら木刀になるんです。というわけでお客さんの目に活かせるためにはどこを主役にするのがいいかっていったら、剣です。モノクロは他のシーンと同じ処理したら目立たないんで、「特殊空間ですよ」と見せるために、木刀をピカピカ光らせて雰囲気を出しました。木刀自体が力を放ってる如く、光らせていて、藤木の顔とか伊良子の顔が近づいた時には照り返しを受けて顔が光る、剣の存在感、っていうのを念頭に置いてその形になっている。パカパカのやつは、まずパカパカさせたいからというか、結果的にそういう答えに辿り着いたんですね。

土谷:先程の雪もそうですけど、あっという間に起こってしまう試合の瞬間を、どういう手法で見せていくかという部分から始まっているんですね。

増原:そうですね。アクションと心情と掛け合い、彼らにとっては一秒は実際の一秒じゃなくて、ものすごい長い空間っていうか、走馬灯とはまた違いますが、その一瞬の間に一体どういうことが起きているか、その凄さを表現する上での手法でした。

土谷:炎の方はいかがでしょうか?青色から赤色に変わり、ずっと強気だった伊良子が罠に気づくと、途端に世界の見え方が変わり、青色から赤色に炎も変わります。その最後で。蝉の抜け殻がたくさん落ちているカットがあったり。

増原:そこら辺は、大きくわかりやすいように青と赤の光の存在があるんですが、青いシーンの時は伊良子はまず状況に気づいてないですよね。あの空間、とにかく異常な空間っていうのを、彼の視線でカメラがついていくので、彼にとって異空間であるっていうのをまずやりたいなと思って。通常では炎って黄色とか白とかでボーッって燃えてるんですけど。それじゃ異空間表現するにはどうしたらいいんだっていうところで、石畳みの隙間から青い光が出ているとか。彼にとっての日常ではない特殊な空間を表現するために、ああいう風にしてる感じですね。あと、真冬ですよ? 真冬なのに蝉の死体がめちゃ転がっているのも、やはり幻想的な空間。あれは結局変なお薬も飲まされて、頭の中がぐらぐらになっているっていうところ、それも含めた上で。

土谷:そうでした、薬も飲ませていましたね。 

増原:一方で見守ってる三重とか、仕えているおじいちゃんがいるんです。その人達のシーンから切り変えて外を見て、伊良子が気づくわけですよ。「あれ?これなんかおかしい」っていう心情の切り替えと変化をつけている。あそこの虎眼先生が超お怒りモードなっている、そこの浮動した空気っていうのをやっぱり出したかったので。明確にお客さんがそれを見て気づけるように、あそこは色を変えている部分ですね。

土谷:蝉の死骸は増原さんのアイデアですか?

増原:蝉の死骸はそうですね。それとサブタイが「産声」で、怪物がこの世に生まれたっていうシチューエーションの話でもあるんですけども。「今宵生まれた怪物がひとつ、いや、ふたつ」って感じの終わり方なんですけれども。伊良子が目玉斬られっちゃうわけですよね。それから盲目の剣士になっちゃうけれども、蝉の抜け殻っていうのはある種誕生の象徴でもあるし、死の象徴でもあるんです。伊良子の剣士生命はそこで一旦斬られっちゃうわけで、死を迎える。で落ちてゆく蝉の抜け殻と、倒れていく炎みたいなものの中にO.Lさせて、彼の剣士としての一旦終焉っていうのを象徴する。けれども、が故に伊良子はさらにすごいことになって帰ってくるわけです。有名なポーズ(無明逆流)があるんですけど、こんなになっている伊良子が、足で挟んでギャンって刀を振るうっていう。蝉の抜け殻は、彼の剣士としての死であるけれども、再生っていうか、生還でもあるんですよね。ふたつの象徴的な部分を表現したくて、ああいう風にしているところです。けど、こういうのを一から十まで言っちゃったらつまんないので。本当にそれを何となしに感じてもらえたらいいかな位なんですけれども。ただお客さん自身が観ていて「あれ?これは何だろう」って思えてもらえたらその時点でもう僕の狙いはハマっているかなっていうところなんです。ただ、それの答えを見つけるのはお客さんであって欲しいっていうところがあるんです。今ちょっとぺらぺら喋っちゃいましたけど(笑)。本当はそこら辺を考えてもらえるとすごくいいかな。

土谷:なかなか聞く機会がない貴重な話が伺えました。

増原:はい。そういうことも考えて話しています(笑)。これを読んだお客様には「あっ、そうなの?」みたいなことを思ってもらえるといいかなと思っています。

土谷:演出論の話ですが、「アカギ」の7話を担当されています。「アカギ」の7話は、麻雀好きの間では伝説の話数だと言われている市川が完敗を喫するシーンがあります。まさかの「白」2つで頭っていう展開ですが、そのときの演出は、超広角で市川の顔がぐにゃんと伸びますが、衝撃や戸惑いの演出なのでしょうか?

増原:別にそこまで深く考えたわけではなくて。目眩や衝撃が欲しかったんですね。あまり覚えていなくて申し訳ないですが技法的なところで言うと、ワンカットで処理してしまうと、あまりにも間延びするので、眩暈のような感じで彼が衝撃を受けている雰囲気を出していますね。

土谷:「アカギ」はずっと麻雀をしていて席から殆ど動かないですが、増原さんの中で演出でこだわっていたところはあるんでしょうか?

増原:「アカギ」は4話と7話と15話あたりかな。記憶に一番残ってるのは、鷲巣さまが出てくる話数の絵コンテを担当させてもらったんですが、あそこの構成は監督の佐藤さんと話してコンテ打ちの時に、Aパートのラストまでは鷲巣さまの顔を見せないというコンセプトだったんです。引っ張って引っ張って引っ張って、ずっとすごい巨大な敵として鷲巣さまは描かれる。原作ではわりと早く顔は見えているんですけれど、アニメでは視聴者とアカギの目線を同じにしたのですね。アカギは知識として鷲巣を知っている、けど鷲巣さまの顔がわからない。で、アカギがようやく館に着いたときに、「ようこそ」ってバンと出てきた時にお客さんとアカギは同じ目線で初めて鷲巣の顔を知る、という。そうすることによって彼の存在が「浮き立つな」という風にさせた。あとはあの話数のラストで、破壊麻雀・鷲巣麻雀の恐ろしさがだんだん解説されていくんです。鷲巣さまの狂気って若い人の命を欲するという部分で、それを表現するのにどうしたらいいだろうという部分で、じゃあ血の海で満たされた絵の中で鷲巣さまが「がはははは」って笑っているところを描こうかと。声が入り、鷲巣さまがあんなバカ笑いするということにさらに衝撃を受けましたけども。その先延々とあんなにすごい濃いキャラになるとは当初思わなかったんですが。若い人間の必死な姿に対して「しまったよ!がはははは」みたいに大笑いする狂気。
「アカギ」の話数でいくとそこら辺も印象的なところではあります、僕個人的に。

土谷:やはり鷲巣さまみたいな、アクが強いキャラクターは描き甲斐がありますか?

増原:描き甲斐がありますね。繊細なところを調整するのも演出ですけども、よりドラマチックに見せるのも演出なんで、そこら辺はすごいやり甲斐のあるところです。


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土谷:増原さんは「ガングレイヴ」や「シグルイ」となどハードな作品に参加する一方で、「チーズスイートホーム」や「こばと。」、「CLAMP IN WONDERLAND2」などのハートウォーミングな作品も担当されています。幅広い作品に対応できるマルチな監督さんという印象がありますが、ご自身の中ではハートウォーミングな話やコメディのようなタイプと、「シグルイ」のような狂気を描く作品と、どっちがより楽しいですか?

増原:僕ね、ギャグとハートウォーミング大好き! ハードな作品も勿論全力でやっていますが、2つどちらかを選べって言われたら、ハートウォーミングな作品の方がやりたいかなって。「チーズスイートホーム」が僕の初監督作品なんですけど、その時実はもう一本作品が提示されたんですよ。もう一本の方はシリアス系の作品で、どっちがいいって言われて、僕はこの猫ちゃんがいいですって(笑)。

土谷:遡りますと、昔マッドハウスがガイナックスと一緒に制作した「アベノ橋魔法☆商店街」という作品で増原さんは学園ドタバタコメディの話数を担当されていましたよね。かなりコテコテなコメディでしたが、増原さんがやりたいことのひとつをやった回だったんでしょうか?

増原:そうですね。絵コンテを割り振られる段階で、結構ベテランの演出さんと僕とどっちがどっちの話数をやるか、みたいな話が出ていて、僕が最終的にやらしてもらったお話の方は、「カノン」とかの美少女ゲームの元ネタが多かったんで、その世界観は僕のほうがわかるんじゃないかってことで、あの話数の絵コンテを担当しました。パロディアニメだから元ネタがわからないと、やりづらいじゃないですか。それであそこの話数に納まったっていうのがありますね。

土谷:ここまでやるかって位、その当時流行っていた学園ゲームのパロディーでしたね。触覚ヘアのヒロインが登場したり、と。

増原:はい。シナリオから多少膨らました部分もあったね、ネタ的に。セリフの流れはライターさんに助けていただいた部分もたくさんあって、僕が知らない元ネタも実はちょっとあったんです。基本的に楽しかったですよ。例えば、突然天に召されて逝くっていうネタを入れたり、掃除が得意な娘にモップを持たせてみたりとか。

土谷:ファンから観るとたまらない話数になったんしょうね。「アベノ橋魔法☆商店街」は全体としてスタッフが楽しく作ってる雰囲気が観てて伝わってくるようなアニメーションだったんで、貴重な無駄話(裏話)を聞けてよかったです。

増原:無駄話と言いましたね!(笑)

土谷:裏話です、すいません(笑)

増原:裏話ね。だいぶ違いますね。これが翻訳で無駄話ってされたら、僕損ですよ。(笑)

土谷:その後多くの作品に関わり、「チーズスイートホーム」で初監督されます。「チーズスイートホーム」は漫画原作でしたが、初めての監督作品ということで、当時意識していたことがあったら教えていただけますか?

増原:「チーズスイートホーム」で意識したことっていうと、あれはコンセプトで、小さい子供が対象だったんですね。もともと青年誌連載の漫画なんですが、時間帯が朝6時40分からテレビ東京さんで放映ということで、対象年齢がポケモンとか観てる子たち、あるいは就学前のお子さん、3歳とか4歳のお子さんが観ても楽しめる作品でした。なので尺も短い。小さい子が観ても途中で集中力が続くということで、二分半の作品。小ちゃいお子さんが観ても理解できる作りっていうのはすごい意識してましたね。微妙な感情表現はほぼやらない。わかりやすくするため、文字で説明するということは避けています。たとえばBGオンリーでよくあるのは「図書館ですよ」とか「学校ですよ」というのを看板の文字などで見せる。そうすると一発なんですけど、それ読めない子は置いてきぼりになっちゃうんで、そういうのは絶対避けようと。あと、たとえば時計の表現、チーが夜中になんかウロウロしてますよっていう表現をする時に、「これは夜遅い時間なんですよ」と表現をするのに、時計で深夜2時とか深夜10時と映しても、小ちゃいお子さんって寝るのは早いので、10時でも2時でも同じ夜なんですよ。そこで、自由落下の共通概念じゃないですけど、深夜をお子さんにもちゃんと感じてもらうため、夜の表現では「お空が暗くなっている夜」っていうのを映してあげる。それから、チーに入る。時間表現が時計じゃ絶対説明しないところは気をつけてやっていました。一番気をつけたポイントはとにかく文字が読めないお子さんたちもちゃんと理解できるフィルム作りを目指そうということ。それを念頭に置いたんですね。

土谷:「チーズスイートホーム」のチー自体が小さい子みたいな、集中力がなかったり、やってはダメなことをしたり。気まぐれで、ある意味気持ちが繋がっていないキャラクターだと思うんですけど。

増原:そうですね。

土谷:普通の成人した人間を描くのとは、また違う工夫をしたりとか。

増原:工夫っていうかあえて意識したのは、何か目新しいもの見つけたらそっちに意識が行っちゃう、理由もなく意識が行っちゃうのはその小ちゃい子たちのリアリティじゃないですか。猫であっても、子猫は同じで気まぐれ。さっきまですごい深刻だったけどすぐ忘れちゃう。そこら辺を大人に当てはめて考えちゃうと、明確な理由が必要なんですよね。このキャラクターがすごい。たとえばお父さんとお母さんを事故で失って、落ち込んでいたとします。でも目の前に美味しいものがあったら「うわっ美味しい!」って。大人だったらいけないですよ。でも小ちゃい子たちは次に意識を移したら一直線ですよね。その辺の心の繋がりを深く考えると小ちゃい子のリアリティにはならないので。あんまりそこを追求して考えないようにはしてました。

土谷:実際猫カフェに行かれたりとか。

増原:猫カフェ行きました。猫カフェ、可愛かったお猫さま。猫派にはたまらないですね。

土谷:一説では増原さんはあんまり猫が好きではないと。

増原:猫が好きではないというか、ニャンコかワンコかと言われたらワンコ派。小さい頃に家の近くに猫が住んでいて、小学校から帰るときにいつも頭を撫でてお家に帰っていたんです。けど、子供を産んだらその猫が気が立っちゃって。でもそういう知識がまったくなかったもんで、僕がいつも通りに頭を撫でようとしたらめちゃ噛まれまして。そこから猫がちょっと怖くなったっていうのがありましたね。

土谷:「チーズスイートホーム」で、猫の良さを改めて気づけた?

増原:はい、みんな「噛むのは猫ばかりじゃないぞ」、「それが珍しいケースなんだぞ」って言ってました。





土谷:「チーズスイートホーム」の後に、「こばと。」の監督をやっています。観ていると色彩とか光とかが少女漫画的という印象の作品でした。パステル調に描かれている作品だったと思うんですけど。

増原:少女漫画の世界なんで、やっぱりその辺は少女漫画の独特の、ふわっとした世界観を再現しようと思ってやっている部分はありますね。美術さんにも、ある程度ファンタジックな世界なのでそれを意識してとお願いして。物語のスタートが春なんですよね。季節を追って話が進んでいくストーリー構成なので、一番最初のスタートはやっぱり春を意識してもらっているところもありました。

土谷:最終回でもまた春でしたね。季節が何回も巡って、藤本が弁護士になってて…

増原:はい、何回も。突然ね(笑)。24話までずっと一年間を描いてきたのに、いきなり七年後に飛ぶというね。ジャンプしましたね(笑)。

土谷:ジャンプして、すごいきれいなお花畑がある家でこばとと再会して、演奏も美しく、観てる人が泣いてしまうシーンだったと思います。あのシーンは増原さんの中で思い出に残ってるメイキング秘話みたいなものとかありますか?

増原:秘話的なところで言うと、まずこばとの歌はやっぱキーになっているんで、最後はまず歌わせたいのがコンセプトとしてありました。歌の入れどころとかその辺は、組み立てとして藤本くんが弁護士になる、そしてピアノを弾く、と。狙いとしてはまず藤本くんがあのシーンでピアノ弾いて、これで終わっちゃうかもしれないな、この物語が閉じてお別れかな?寂しいけど終わるのかな?と思わせておいて、こばとがやってくる。でも、こばとの記憶はなくなっていた。そこら辺の彼の心情とか、やっぱり表現したかった。「あした来る日」という歌のキーになってる「私の手と君の手を強くつなぐもの」っていう歌詞、そこのフレーズは大事だなと思っていましたので。彼らの思い出はやっぱり一番大事なことで、輪廻転生しても記憶が残ってなければ、それはまた一からリセットっていうことになっちゃう。そういうとこの切なさがあるラストでした。23話までがこばと自身の心情を描けてた物語だとすれば、24話は、こばとを失ってはじめて描かれる藤本の物語でした。24話は藤本くんにカメラをずっとつけている。で、「あした来る日」っていう曲が流れて、これで終わりかなって思っていると、実はちゃんとこばとの記憶が戻り、大団円のハッピーエンド。最初に言い忘れましたけど、とにかくあの物語はハッピーエンドにする必要がある物語だったんです。ハッピーエンドの劇を演出するのが、まず第一の出発点でしたね。あとは、いおりょぎさんはアニメの結末ではまだぬいぐるみなんです。原作はあの時点ではまだ終わってなかったので、アニメなりの物語を閉じたんですけど、いおりょぎの最後のセリフがね、アフレコ当日の朝ぐらいまで迷っていました。

土谷:増原監督が考えたのですか?

増原:シナリオ上ではいおりょぎさんが安心して泣いているぐらいのところで上がったんですけれど、曲が入るところで、シナリオ上の狙いとの兼ね合いが難しいところがあったんです。そこで、藤本くんのセリフといおりょぎさんのセリフを入れたんですが、藤本くんのセリフはコンテ描いてる段階で決まったんです。あの最後のセリフって、彼らがいつも日常で発していた言葉っぽい言葉でないと、再会した感がないなっていうのはありまして。さっきの「ガングレイヴ」の日常の破壊の話と逆で、日常が戻ってきたっていうところで、ハッピーエンドにするお話にしたいと。「ただいまです」ってこばとが言った後に藤本くんが言ったセリフも結構考え込みました。「ずいぶん待たせやがって」とか「大遅刻だな」みたいなことを言って迎えるキャラですよね。遅刻遅刻っていうのは、こばとがしょっちゅうやらかしてたことなんですよ。七年ぶりなんだけれど、藤本くんの時間はずっと止まっていた。それが今からまた動き出しますよっていうキーになるセリフなんです。ここは象徴的なセリフを言わせなきゃいけないなっていう苦労がありました。もうひとつ、いおりょぎさんは二人を見守る視点でしたから、藤本くんがこばととくっつく関係性だとすると、いおりょぎはお兄さんとかお父さんというポジションなんで、それを象徴するセリフをやっぱ言ってほしいな、と。じゃあ、いおりょぎを象徴する言葉ってなんだ、と考えると、こばとに対しては、やはり点数だな、と。ずっと点数つけていたなこのお父さんは、ラストは今まで言ってないことを言わせたいな、というところがありまして。ずっとこばとの顔に墨で点数書いて、何点だって採点してたので、じゃあラストは自分に採点して「俺様百点満点」っていう彼っぽいセリフというのを考えました。今までとはちょっと違う立場でのセリフ、という最終回っぽい雰囲気。アフレコ台本にも書いてなかったと思います、確か。いおりょぎ役の稲田さんにはその場でセリフをもらったんですけど、裏話的なところでいうと、その一言しかその話数はなかったんです(笑)。

土谷:ええ(笑)

増原:いおりょぎさんはずっと出てこなくて、二人を見守って木の上にいるカットが最後に描かれる。そこで、「俺様百点満点」と言ってこちらを向くと、見えなかった片一方のほっぺに百点って書いてあるんですね。担当してくれた稲田さんっていう役者さんが、気合入り過ぎちゃって、何回かテイク重ねました。いつもっぽい感じの暖かく見守るいおりょぎさんが出したかったんですけど、もう最終回一言だけだから気合入っちゃって「俺様百点満点!!!」みたいな。「稲田さん、それはね、ちょっとあの、気持ちはわかるけど、最後の最後で暖かく見守るお父さんってやって下さい」とお願いして。「生き返った娘を見守る「よくぞ生き返ってくれた」っていう気合の入ったお父さんじゃないですよ~。」というお願いをしました。

土谷:日常のいおりょぎさんからして、声は強めというか、怖めの印象があります。

増原:そう、日常に帰ってきたというところでは、序盤の頃に「こばととみんなの集合写真をどっかに潜めときましょう」と監修で浅香守生さんに助言頂いたんです。仕掛け上、そうすることで、後々で何か使えるかもしれないし、例えば思い出の写真を観てみたいなとか。それで、24話では写真からこばとが消えている、みんなの記憶から消し去られる象徴として使うことができましたね。それを印象づけた冒頭部分にして、オープンニングに入って、という構成にしています。「時計を見せず」に感覚で理解してもらうのは、「チーズスイートホーム」で経験したことが活きました。写真を見てもらい感じとってもらう、と。最終回の24話の冒頭でこばと消えていますが、桜吹雪の家のなかにカメラが寄っていくとそこにある藤本くんや幼稚園の子達と一緒にとった写真に消えていたはずのこばとが戻っている。これは、なんで戻っていたかというのはお客さんに想像してもらうことにしました。こばとの縛りって色々あって、実は仕掛け上こういう理由でこんな風になりましたというのは、ロジックとしては考えてますけど、あえて説明しませんでした。絵で「こういう風になりましたよ」ってお客さんに考える余地を持たせる。いずれにしろ元通りになったっていうのは、あの写真が戻ってないと多分、ちゃんとわからなかったと思うんで。こばとが現れたけど、これってひょっとしたら幻かも? 藤本くんが脳内で補完した幻かも??、って思われちゃう可能性もあるじゃないですか。そこをどうにか「この物語はハッピーエンドなんだよ」ってところにFIXしたかったんです。この方向性は絶対譲れないっていうか、ハッピーエンドにしたかったんで。写真に戻ってます、というシーンをラストカットにしているんですね。

土谷:そんなハートウォーミングな「こばと。」を担当された後、「ブレイド」というアメコミ原作の深夜アニメーションを監督されています。ハードなアクションアニメで、復讐に生きる主人公という設定でしたが、「ブレイド」の印象はいかがでしたか? また、柳生流の剣豪キャラクターが登場して殺陣のカットもありましたが、アクションシーンの感想を教えてください。

増原:アクションはとにかくバンパイアをやっつけるっていうところでしたよね。マーベルさんから頂いた大枠の設定として「とにかくバンパイアを見つけたらブレイドが根こそぎ殺す」っていうのがありまして。そこに躊躇はないと。そこのお話作りはまず大変でしたね。まったく躊躇しない主人公。

土谷:1話の絵コンテは増原さんがやってらっしゃるんですね。

増原:ブレイドは空飛んだりできないし、吸血鬼の血を半分持ってるけど、目からビームとか出ないし。跳躍能力があったけど、人間と同じことしちゃうとこじんまりとしちゃうんで、わりと大げさな表現に持ってこうって考えていました。アクションは切った張ったの立ち回りは大きく見せなきゃいけないなって。日本のアニメなので剣豪の殺陣は見せて欲しいというリクエストが向こうからあって。なので、「陽だまりの樹」のあの技も使いつつ、ただし全編リアルだとこじんまりした絵づらになっちゃうので、その辺は見栄えがするように、というのは苦労しました。飛び道具もなかったので、派手に見せるのが結構苦労しました。

土谷:最終話の演出は増原さんでしたが、やはりアクションはそれらを意識して?

増原:あ、そうですね。絵コンテは江本くんだったかな。最終回では、何回斬っても復活するバンパイアが初めて登場しました。物語としても、とにかく最終ボスをぶっ潰さなきゃいけない、というところで派手目のアクションを多めにしてますよね。

土谷:初めてアクションアニメーションの監督をされた感想はいかがですか?

増原:アクションは、大変ですね(笑)。

土谷:今担当されている「ダイヤのA」も野球アニメでよく動きますよね。「ダイヤのA」はいかがですか? 野球というアクションのシーンと高校生男子の生活の日常シーンと両方ありますが。

増原:どの回だからどうこうじゃなくて、1話1話の中でのメリハリですかね。お客さん自体は別に今日は日常話数だから肩の力を抜いて見ようとか、試合だから力を入れて見ようとか、そういうことではないと思うので。、テレビシリーズって基本的に毎週楽しみにしてもらう、30分の中でのメリハリを付け所っていうのが出発点ですね。なので、全編動かしっぱなしではなくて。全編動かしっぱなしは逆にピークが分かりづらいんであえて緩急をつけて、止めを挟んだりとかそういうのはバランスよくまとめているつもりですね。あえて止めることで、動いてるところがより激しく見えるよう、コントラストですよね。

土谷:増原さんが絵コンテを担当されているのは実は今のところ1話だけですが、1話で特に力を入れたシーンはどこですか?

増原:1話のコンテは、作品の方向性とかスタイルを決める、全体構成のためなんですね。当初は1話のコンテも誰かにお願いする話があったんですけど、1話のコンテをお願いしちゃうとそのコンテを切った方のスタイルが「ダイヤのA」の標準になってしまうので。コンテチェックは当然僕がするんですけれども、第1話を誰かにお願いすると、その方が以降もコンテチェックしなきゃいけない、つまりその方に監督をやってもらわなきゃいけない、ってことになっちゃうので。そういう意味で、力を入れたシーンというか、全編気合を入れています。

土谷:1話目は監督が作品の方向性を伝える話数でもあるんですね。

増原:2話で、沢村栄純が中学の仲間との別れ際で、仲間の本当の気持ちを聞かされて、その思いを背負って出発していく、すべてのはじまりのシーンがあるんですけど、そこのシーンを原作の方にお話を伺った時に、「自分はネーム書きながら泣いてしまったほどのシーンだったんで、ぜひ盛り上げてくれ」って言われて。で、僕は1話の方で、そのシーンをクライマックスにするためにどうしたらいいかを考えて。栄純があそこで中学の中間たちの思いを受けて、ものすごい涙しながら、旅立っていく、「俺はもう帰れない。でもあいつらの思いをちゃんと受け止めて、しっかりしなきゃ絶対甲子園行かなきゃ」っていう思いに至るためには、その彼の気持ちを観てもらったお客さんに共感させてもらうためには、やっぱり共通概念を持ってないと、そこに感情移入出来ない。原作では何週にも渡って描いているところを、アニメでは次の週にももう別れなんで、沢村と中学の仲間たちとの繋がりを描かなきゃいけないな、こんなにいい仲間たちと離れなきゃいけないっていう沢村の思いを、って。だから原作にないですが、1話で沢村と仲間たちが一緒に勉強会してるシーンを足してますね。力の入れ所っていうか、工夫っていうところの仕掛けではそこかな。オリジナルカットで、放課後の夕景の校舎で、みんなと一緒に沢村が勉強していたり、「海行こうぜ」って仲間がやってくるんだけれども縁側で沢村が勉強しているのを見て勉強道具を出したり、沢村が一緒の高校に行けるように勉強するっていう。「こいつらずっと一緒だね」みたいな雰囲気を演出しておいてから、あそこの駅のホームでの別れのシーンに持ってく、その前段階のシーンですね。もちろんスタイルを作るって意味では、全編が力を入れたシーンですけど。

土谷:「ダイアのA」は全編通してあまりシリアスになり過ぎないですよね。シリアスになりそうなところでコミカルになったりする。もちろん原作の雰囲気もありますが、アニメでのそのテンポやバランスに増原監督の色を感じますが。

増原:原作で元々そうなんだと思います。「週刊少年マガジン」っていう少年誌に載せているので、ハードな話ばかりしちゃうとやっぱ重苦しいんでギャグを時折挟むんですね。ただ、アニメの1話は原作の流れを踏襲できているんですが、その先の話数では、多少抜き差ししている部分もあります。深刻なシーンが長いときに、漫画だったらコマの端でコソっとギャグが入ってもいいんですけど、アニメでそれが入るとお客さんは深刻になっているのに気持ちを壊された気分になっちゃうと思うんですね。なのでそこは、ギャグシーンは一段落した後に入れ込むとか、そういう工夫をさせてもらってますね。

土谷:今後また増原監督が絵コンテを描く可能性はあるのでしょうか?

増原:可能性(笑)。今のところ全然ない(笑)!むしろ絵コンテチェックを最近バンバンさん(佐藤雄三さん)に手伝ってもらっている位で。


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土谷:増原さんは今後やってみたい作品とかありますか?

増原:ロードムービーです。ファンタジーのロードムービーです。

土谷:どんなロードムービーですか?

増原:旅をしていくこと自体がロードムービーですが、思春期の多感な女の子が、理由はわからないけども旅をしていて、その旅を通して彼女自身の中に成長が見えたり、人との触れ合いの大切さに気づいていくみたいな。そういうお話をざっくりね、作りたいなと思ってるんですが、そのお話を作ろうと思ってはや十何年(笑)、一向に手付かず。

土谷:オリジナル作品ですか?

増原:オリジナルはやってみたいですよね。

土谷:楽しみに待っています。

増原:楽しみにしていただきたい!実現できるといいですね。

土谷:最後に中国の演出家志望の方やファンの皆さんに一言お願い致します。

増原:まず演出家志望の人へ。まず飛び込むことが大事です、何をするのでもそうですけど。学校で色んなことを習うかもしれないけれど、現場に入ったら全然違うことが毎日いっぱいあるので、まずは飛び込んでみるといいです。それは若ければ若いほどいいと思います、なぜなら間違った時に取り返しがつくので、本当に。

土谷:大事なことですね。

増原:大事ですね。30歳とか40歳を過ぎてから思い立って飛び込むよりかは、20代のうちに飛び込んだほうが絶対いい。演出家でなくてもそうだと思うんですけど。人生は一回ですから。輪廻転生しちゃうかもしれないですけど(笑)。なりたいと思ってるんだったら一度は挑戦してみないと。やらなかった後悔よりはやって後悔しろ、ということですね。

土谷:勇気が出る言葉ですね。ありがとうございます。

増原:そして中国のアニメ好きの方には、ぜひ日本語にも興味を持ってもらいたいです。アニメっていうか映像作品での話ですけど、音楽って全世界共通でありますけど、歌が入った場合の歌詞はその根っこの部分を理解するためには言葉を知ることが必要だったりするので。その方がより楽しめると思いますね。先程の『こばと。』のセリフでもそうですけど、ものすごい苦心してセリフを作っていますんで。中国語とか外国語に翻訳されるときには、少なからず意訳になあるので、一歩踏み込んだ領域楽しんでもらうためには、日本語を理解してもらえたら一番いいかなと思うんですね。そういう僕は吹き替え派なんですけど(笑)。

土谷:あ、そうなんですか(笑)

増原:とにかく一番は、日本のアニメをどんどん観てもらいたいです。みんなが命かけて作った作品が世の中にこんなに溢れてる時代っていうのはすごい贅沢なことだと思うんです。それこそ百年前はアニメなんて存在しないし、少し前の時代でもアニメは映画に比べて対象年齢が低いものっていう風な世間の見方があった。今はそれが文化になっている。アニメに関わる人やアニメが好きな人達がその気持ちの主張をやめた瞬間に、文化になったものも廃れてしまうかもしれない。なので、とにかくいっぱい観てください。そして演出家志望の人にはそこからもっと踏み込んで作ってください。